親として、人として
さっき、産経新聞のネット版イザ!でこんな記事を読んだ。
【コラム・断】ふざけんなよ!
「まだ降ってんだろ。ふざけんなよ!」。横を向くと、怒鳴り飛ばす30代の若い母親と、シュンとして俯(うつむ)く10歳くらいの男の子がいた。どうやら「こんな雨、平気だからいこうよ」とその子が言ったらしい。それに対して「ふざけんなよ!」である。青筋を立て、苛立(いらだ)った顔をして本気である。恐れ入った。(中略)
親はなくとも子は育つ、といわれるが、親がいるのになぜ育たない? 親じゃないのか。ただ子を産んだだけの、ただの男女か。
坂口安吾のこんなフレーズを思い出した。
親がなくとも、子が育つ。ウソです。
親があっても、子が育つんだ。親なんて、バカな奴が、人間づらして、親づらして、腹がふくれて、にわかに慌てて、親らしくなりやがった出来損いが、動物とも人間ともつかない変テコリンな憐みをかけて、陰にこもって子供を育てやがる。親がなきゃ、子供は、もっと、立派に育つよ。
極論ではありますが、親であることの前に、人としてどうあるべきか、根っこはそこにあると思った曇り空の朝です。